州の世襲

袁紹劉表が勢力と地位の継承で失敗して敗亡したこと、曹操ですら後継者争いが起こり失敗しそうになったことなどは有名である。


そもそも、漢代の州刺史、州牧などの地位は皇帝が任命する官位なので、世襲するものではないはずである。
上記に挙げたような群雄が失敗した(しそうになった)のも、世襲すべきではない地位を世襲させようとしたことにも一因があるのではなかろうか。


後漢末、州牧・刺史といった地位の息子への継承がすんなりいった例はどれだけあるのだろうか。
(劉焉、劉璋が比較的それに近いかもしれないが、経緯を見るとそこまで単純でもなさそうだ)



而(韋)端徴為太僕、其子康代為(涼州)刺史、辟(楊)阜為別駕。
(『三国志』巻二十五、楊阜伝)

涼州牧韋端が朝廷に戻り太僕に任命されるとき、涼州の後任にはその息子韋康が選ばれている。

えっ韋端ってスゲーんじゃね?