徙戎論その5

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110531/1306767771の続き。

夫關中土沃物豐、厥田上上、加以芤渭之流溉其舄鹵、鄭國・白渠灌浸相通、黍稷之饒、畝號一鍾、百姓謠詠其殷實、帝王之都每以為居、未聞戎狄宜在此土也。非我族類、其心必異、戎狄志態、不與華同。而因其衰弊、遷之畿服、士庶翫習、侮其輕弱、使其怨恨之氣毒於骨髓。至於蕃育眾盛、則坐生其心。以貪悍之性、挾憤怒之情、候隙乘便、輒為膻逆。而居封域之内、無障塞之隔、掩不備之人、收散野之積、故能為禍滋擾、暴害不測。此必然之勢、已驗之事也。當今之宜、宜及兵威方盛、眾事未罷、徙馮翊・北地・新平・安定界内諸羌、著先零・罕幵・析支之地。徙扶風・始平・京兆之氐、出還隴右、著陰平・武都之界。廩其道路之糧、令足自致、各附本種、反其舊土、使屬國・撫夷就安集之。戎晉不雜、並得其所、上合往古即敘之義、下為盛世永久之規。縱有猾夏之心、風塵之警、則絶遠中國、隔閡山河、雖為寇暴、所害不廣。是以充國・子明能以數萬之眾制羣羌之命、有征無戰、全軍獨克、雖有謀謨深計、廟勝遠圖、豈不以華夷異處、戎夏區別、要塞易守之故得成其功也哉!

そもそも関中は土地は豊かな土地で、塩も産出し、鄭国渠、白渠も通じていて、皆その豊かさを詠い、帝王たちがいつも都に置いていた場所であり、戎・狄を置くべきだなどという話は聞いたことがありません。戎・狄は我々とは人種が違い、その心も我ら中華の者とは同じではないのです。
それなのに戎・狄が衰えた時に彼らを都の近くに移住させれば、民は慣れて侮蔑するようになり、彼らに骨髄まで達する恨みを抱かせることになります。彼らが増えて勢力を増すようになれば、異心を生じることになるのです。貪欲で荒々しい性根の彼らが中華への怒りを抱けば、隙を見て反逆することになります。しかし辺境ではなく内地に居住しており、辺境の長城や要塞のような備えはないことから、備えの無い者を襲い集積された物資を奪うことができるため、反逆による戦禍は拡大し、想定外の事態をもたらすことになるのです。これは勢いとして当然のことで、既に後漢時代に経験したことなのです。
今現在為すべきことは、軍事が盛んである今のうちに馮翊・北地・新平・安定郡の境界内にいる羌族を先零・罕幵・析支に移住させ、扶風・始平・京兆の氐族を隴西に還し、陰平・武都の境界に移住させることです。道中の食を供給して自給できるようにしてやり、元居た土地に戻してやり、属国や撫夷護軍に鎮撫させるのです。
こうすれば戎と晋は交わらず、それぞれ居るべきところにあることが出来ます。これは古と同じであり、また今後の規範とすることができます。
もし仮に彼らが中華を乱そうとしたとしても、中国ははるかに遠く、山河によって隔てられているため、反乱を起こしたとしても害はそれほどでもありません。
それゆえに趙充国、馮奉世は数万の兵で数多くの羌族を制し、征伐はあってもまともな交戦はなく、軍を失うことなく完勝したのです。深謀や優れた戦略があったとはいえ、中華と四夷が別々に住み、要塞も守りやすかったが故に功を挙げることができたのではないとどうして言えるでしょうか?


江統さんは四夷、特に後漢、魏において内徙した羌と氐を元の土地に戻すべきことを説く。

同じ内地に住んでいるからこそ四夷は中華に対し恨みを抱く。
恨みを抱くから反乱する。
反乱すれば内地に住んでいるがゆえに酷い害をなす。

なら、遠ざければいいじゃない。という中華思想である。内徙させたり元に戻したり、全く勝手なものだ。
ただ、四夷内徙が中華の民の差別を生み、四夷の恨み、怒りの淵源になるという指摘は鋭いのではないだろうか。私見であるが。


「属国」「撫夷」は行政上の名称だろう。「撫夷」は『三国志東夷伝注引『魏略』に見える「安夷、撫夷二部護軍」のことではなかろうか。要は氐族の監視役と思われる。

「充國・子明」は前漢の将軍趙充国と馮奉世(追記:子明は字)のことだろう。
趙充国は宣帝、馮奉世は元帝の時、それぞれ羌族の反乱を相手にして勝利している。