正始元年、蜀將羌維出隴西。(郭)淮遂進軍、追至彊中、維退、遂討羌迷當等、按撫柔氐三千餘落、拔徙以實關中。遷左將軍。
涼州休屠胡梁元碧等、率種落二千餘家附雍州。淮奏請使居安定之高平、為民保障、其後因置西州都尉。轉拜前將軍、領州如故。
(『三国志』巻二十六、郭淮伝)
蜀の姜維が隴西を攻めたが雍州刺史郭淮が退けると、涼州の休屠胡の梁元碧らが集落の人間を率いて郭淮へ付き從うことを申し出た。
この話って面白いな。
この涼州胡は姜維に呼応して雍州(隴西)へ進出していたということか、それともこの当時の涼州刺史は降伏を受け入れるような状態ではなかったということか。
いずれにしても、このころの魏の涼州(河西回廊)は胡の反乱に悩まされて十分に機能していなかったのではないかと思える。
前後の時代を考えてもそれは不思議ではないが。