漢代、皇帝の妻妾の事を「姫」と呼ぶことがあった。
孝文皇帝、高祖中子也、母曰薄姫。
【注】
如淳曰「姫音怡、眾妾之總稱。漢官儀曰姫妾數百、外戚傳亦曰幸姫戚夫人。」
臣瓚曰「漢秩祿令及茂陵書姫並内官也、秩比二千石、位次婕簱下、在八子上。」
師古曰「姫者、本周之姓、貴於眾國之女、所以婦人美號皆稱姫焉。故左氏傳曰『雖有姫・姜、無棄蕉萃』姜亦大國女也。後因總謂眾妾為姫。史記云『高祖居山東時好美姫』是也。若姫是官號、不應云幸姫戚夫人、且外戚傳備列后妃諸官、無姫職也。如云眾妾總稱、則近之。不當音怡、宜依字讀耳。瓚說謬也。」
(『漢書』巻三、文帝紀)
その由来、および「姫」が通称か正式な称号なのかについては『漢書』注釈者で意見が分かれていたようだ。
魏の如淳は通称と言い、晋の臣瓚は『茂陵書』などを引用し女官の地位の一つであったと言っている。
それらに対し我らが顔師古先生は「姫姓である周の女性は他の女性よりもよく指名されたから、「姫」が人気嬢の代名詞になったんだよ(意訳)。それに『漢書』外戚伝に「姫」って地位の事は書いてないだろ。通称だよ通称。」といった感じのことを言っている。
昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110407/1302102301)の「貴人」っていうのは前漢の「姫」同様の通称だったんだろうか、とか思ったり思わなかったり。