懿徳の君に非ず

自昔天子而有才華者、唯漢武・魏太祖・文帝・明帝・宋孝武帝、皆負世議、非懿徳之君也。
(『顔氏家訓』文章第九)

顔之推先生によると、かつて文章において才能が有った天子は漢の武帝、魏の太祖(武帝曹操)、文帝、明帝、宋の孝武帝くらいのものだそうだ。
しかしみな世間から悪く言われており、有徳の君主とは言えない、というのが顔先生の評価。
これが当時の一般的な評価だったのかはわからない。
「世議」といった表現からは、顔先生は一般的な評価を念頭に置いていた可能性が高いとは思うが。
ただ、顔先生は「古より文人は多く軽薄に陥る」などとも記しているので、そもそも文章、文人にある種の偏見があったのかもしれない。



曹操親子の文章における実力と功績は言うまでもないが、漢の武帝もその仲間に入れられている(武帝は自作の賦が多数あったという)こと、および曹操一族の君主としての評価は注目に値するのではなかろうか。