【悲報】漢王朝終了のお知らせ

張璠漢紀曰、初、天子敗於曹陽、欲浮河東下。侍中太史令王立曰「自去春太白犯鎮星於牛斗、過天津、熒惑又逆行守北河、不可犯也。」由是天子遂不北渡河、將自軹關東出。立又謂宗正劉艾曰「前太白守天關、與熒惑會。金火交會、革命之象也。漢祚終矣、晉・魏必有興者。」立後數言于帝曰「天命有去就、五行不常盛、代火者土也、承漢者魏也、能安天下者、曹姓也、唯委任曹氏而已。」公聞之、使人語立曰「知公忠于朝廷、然天道深遠、幸勿多言。」
(『三国志』巻一、武帝紀注引張璠『漢紀』)

後漢献帝長安から洛陽へ至る際、侍中で太史令の王立は天文の動きから献帝黄河を渡らないよう勧め、洛陽へ至った。



その後、おそらくは曹操献帝の「保護」に動いた時のことと思うが、王立は皇族の元締めである宗正劉艾に「天文を見ると漢は終わって晋・魏の方から新たな天子が誕生するよ」と言い、更には献帝に対しても「天命はずっと続くものではありません。火徳の漢に代わるのは土徳です。漢を継ぐのは魏、天下を安んずる者は曹姓でしょう。」と言ったという。



曹操はそれを聞くと、王立に対し「あんたが忠義者だとは知っているが、天の道というのは深遠なものであるから、そういうことは言わない方がよろしかろう」と伝えた。






侍中であった者が皇帝に面と向かって漢王朝終了のお知らせを言うというのはもう相当な事態である。



少なくともこの王立はこの建安元年頃には既に漢の世が終わりつつあることを公然と(しかも皇帝に向かって)宣言していたことになる。




この時期の献帝はこんなことを吹き込む側近や平然と皇帝拉致を決行する大将軍に囲まれて生活していたのだと思うと心が痛む。






もちろん、晋人である張璠の筆による記録だし、晋もこっそり入っているとかあまりに出来過ぎているので、全体的に話盛りすぎという可能性は高いとは思うが。