含玉

王孫報曰・・・(略)・・・裹以幣帛、鬲以棺槨、支體絡束、口含玉石、欲化不得、鬱為枯腊、千載之後、棺槨朽腐、乃得歸土、就其真宅。
(『漢書』楊王孫伝)

前漢屈指のアナーキスト楊王孫の言葉。
「厚葬してたら土に還ろうにも還れねえじゃねえか。だから俺が死んだらただ穴に埋めるだけの裸葬でいい」
という、当時の礼制に喧嘩を売った大物である。

彼はその中で人が葬られる際に「玉石を口に含まされる」と述べている。『儀礼』などでも「含玉」というのが出てくるようだ。
これが当時の葬礼の作法であったらしい。


魏略曰・・・(略)・・・漢晉春秋曰、初、甄后之誅、由郭后之寵、及殯、令被髮覆面、以糠塞口、遂立郭后、使養明帝。
(『三国志』文徳郭皇后伝注引『魏略』)

*1
ということは、魏の明帝の母である甄氏が葬礼において受けたこの仕打ちの中に「口に糠を詰められる」とあるのは、礼制上特別な意味があるのだろう。
玉を口に含ませるという、なんで必要なのか自分は知らないがとにかく重要な儀式の代わりに糠を入れられたということになるのだから。
単なる死体汚辱ではない、呪術的な意味合いがあったのだろう。

*1:殷景仁氏のご指摘により一部修正