明帝と郭太后

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120107/1325863187の続き的な。

魏略曰、明帝既嗣立、追痛甄后之薨、故太后以憂暴崩。甄后臨沒、以帝屬李夫人。及太后崩、夫人乃説甄后見譖之禍、不獲大斂、被髮覆面、帝哀恨流涕、命殯葬太后、皆如甄后故事。
漢晉春秋曰、初、甄后之誅、由郭后之寵、及殯、令被髮覆面、以糠塞口、遂立郭后、使養明帝。帝知之、心常懐忿、數泣問甄后死状。郭后曰「先帝自殺、何以責問我?且汝為人子、可追讎死父、為前母枉殺後母邪?」明帝怒、遂逼殺之、勑殯者使如甄后故事。
(『三国志』巻五、后妃伝注)


先日も引用した、魏の明帝曹叡の母甄氏と文帝の郭皇后に関する話。



ここで目を引くのは、『漢晋春秋』における曹叡に対する郭皇后(太后)の言葉である。


甄氏が死んだ時の事情を尋ねる曹叡に対し、郭太后は「彼女は先帝(文帝)が殺したのです。どうして私を責めるのですか?それにそもそもあなたは人の子でありながら、死んだ父親を今になって恨み、生母のために無実の継母の自分を殺そうというのですか?」と言った。

それに怒った曹叡は郭太后を死に追いやり、実母甄氏が受けたという措置(口に糠を詰めるなどの辱め)を郭太后にも行った、という。




太后の言葉からすると、曹叡が本当に恨んでいるのは、実母を殺し死体まで辱めを与えた父の文帝であると言っていい。
郭氏も讒言したということで曹叡からは当然恨まれているが、それを取り上げるかどうかは最終的には文帝にかかっている。



そして、言うまでもないが当時は現代とは比べ物にならないくらい親への孝行が絶対視された。

父を恨むなど言語道断と言っていいだろう。


また、孝行者にまつわるエピソードには「意地悪な継母へも孝行を尽くす」というものがある。
裏を返せば世間では継母に対しては孝行者ばかりではないということなのかもしれないが、天下の支配者でありすべての人民の慈父でなければいけない皇帝としては、継母に尽くさないどころか継母を殺したというのは、仮に実母の復讐だとしても決して褒められた話ではないだろう。
いくら生さぬ仲であっても母であるのだ。



つまり、これらの記事は当時の感覚では曹叡の非を記すものであり、強烈な曹叡批判ですらあるのではないだろうか。
いくら生さぬ仲とはいえ母を死に追いやり、いくら生さぬ仲とはいえ父に恨みを抱いていたというのであるから。


『漢晋春秋』などは、曹叡を父への恨みを抱くという当時で言えば最大級のヒトデナシとして描いていることになる*1

この書の成り立ちからして魏に批判的なのは当然ではあるが、この一節は我々現代日本人が思う以上に曹叡に対し批判的な文脈で理解しなければいけないのではないだろうか。

*1:もちろん、信憑性も問題になってくるが。