なんとか諫言水

魏略曰、明帝時、(卞)蘭見外有二難、而帝留意於宮室、常因侍從、數切諫。帝雖不能從、猶納其誠款。後蘭苦酒消渇、時帝信巫女用水方、使人持水賜蘭、蘭不肯飲。詔問其意。蘭言治病自當以方藥、何信於此。帝為變色、而蘭終不服。後渇稍甚、以至於亡。故時人見蘭好直言、謂帝面折之而蘭自殺、其實不然。
(『三国志』武宣卞皇后伝注引『魏略』)

魏の武帝曹操の正妻となった卞氏の甥に当たる卞蘭。

ある時、卞蘭がしきりに喉が渇くというので、明帝は彼にとっておきの水を飲ませてそれを治そうとした。
しかし彼は飲もうとしない。
「病気を治すためには薬を飲みます。そんなインチキ水は飲みません」
喉が渇いて仕方ないはずなのに、卞蘭はそう答えたのだ。

顔色が変わる明帝。
なぜなら、拒否された水は明帝のアキレス腱だったからだ。

初、青龍三年中、壽春農民妻自言為天神所下、命為登女、當營衛帝室、蠲邪納福。飲人以水、及以洗瘡、或多愈者。於是立館後宮、下詔稱揚、甚見優寵。及帝疾、飲水無驗、於是殺焉。
(『三国志』明帝紀

明帝が飲ませようとした水はこの水だろう。
「これを飲むと病気が治る!」という触れ込みの怪しい水だったのである。
おそらくだが、この水について卞蘭以外にも諫言されていたことであろう。


卞蘭は「そんな水は怪しいですよ」と言っているのだ。皇帝の下賜を蹴り、その信じるものを真っ向から否定したのだから、明帝が顔色を変えるのも当然といえば当然である。

卞蘭は水を飲まず、それが元で死んでしまった。しかし人々は明帝に強く諫言した末の自殺だったと噂したという。


明帝は自分が病に倒れた時に件の水を飲んだが治癒しなかったので、そこでインチキだと分かったという。
人は自分で体験しないとなかなかわからないものなのかもしれない。