郭皇后の経歴

魏書曰、父(郭)永、官至南郡太守、諡敬侯。母姓董氏、即堂陽君、生三男二女。長男浮、高唐令。次女昱。次即后。后弟都。弟成。后以漢中平元年三月乙卯生、生而有異常。
(『三国志』巻五、文徳郭皇后伝注引『魏書』)

早失二親、喪亂流離、沒在銅鞮侯家。太祖為魏公時、得入東宮。后有智數、時時有所獻納。文帝定為嗣、后有謀焉。
(『三国志』巻五、文徳郭皇后伝)

曹丕の皇后郭氏の父は郭永といい、南郡太守に至ったという。


また郭氏の兄は郭浮といい、高唐令になったという。




そして、郭氏は早くに両親を失い、すべてを失って隷民となっていたらしい。





大黒柱が早死にしたとはいえ、太守まで至った家が身分まで全てを失うってどういう状況だろうか?しかも、南郡太守の父の後継ぎであるはずの兄も県令になっているのに。また郭氏自身以外の親も兄弟も全員先に死んでいるようだ。


それでいて、従兄は健在だったので、親や兄弟姉妹が死んでも保護してくれそうな親族がいなかったとまでは言えない。




となると、もしかして郭氏一家は戦争で全滅し、若い女性の郭氏だけが戦争捕虜になった、とかなのか?



つまり、家格は違うが甄氏にもちょっと似た経歴だったのかもしれない、ということになる。