年度末

やべェ残業疲れか妙に眠い・・・。 今日も休むわ・・・。

続報

新しいマウスを買ってきた。 とりあえずちゃんと動く。よかった。今日はこれで満足。

悲報

なんかこれまで使ってたマウスが動かなくなったので、以前使っていた退役マウスを引っ張り出した。 こっちはこっちでホイールがおかしいので、実用に耐えない。 なので今日は休む。

肉刑廃止について

あれ? 昨日取り上げた太倉公の事件に端を発する肉刑廃止について、『漢書』刑法志では「外有輕刑之名、内實殺人」と、肉刑がほとんど死に至る笞刑になったことを批判的に記してるけど、『史記』ってそういった部分が載ってない・・・? それとも見落として…

淳于公

『史記』扁鵲倉公列伝に載る太倉公淳于意と、『漢書』刑法志に載る淳于公って、同一人物のはずなのに全く印象が違うというか、『漢書』では名医だという話が出てきてないんだよな・・・。 というか、『史記』扁鵲倉公列伝でも肉刑廃止の一件と、医者としての…

疲労感

なんというか、どちらかというと精神的に疲れたので今日は休む。 さて来年度からどうしよう。

ひとこと

なんで賈逵は魏王朝から一貫して忠臣扱いされてきたんだろう? 宗室の重鎮曹休にはかなり嫌われていたのに。 曹休の方が逆恨みだと認識する者が多かったんだろうか。

おねむ

やべ、今日は少々疲れてて眠い。おやすみ。

ひとこと(異姓養子)

昨日の話の後で思ったんだが、三国時代はどの国でも皇帝の一族内に異姓養子がいるんだな。 曹魏では曹操自身(曹嵩)、曹真、烈祖様といるし、蜀漢では記事にした劉封が、孫呉には孫桓らの一家がいる。 全体的には割と異姓養子への心理的ハードルが低い時代…

異姓養子禁止令その3

そういえば、蜀漢で異姓養子と言えば劉封がいるんだった。 あるいは、「兄劉封」がいたことになる皇帝劉禅としては、本当は異姓である劉封の存在を消して自分の皇帝としての地位を固めたい、という意図があったのかもしれない。 劉封自身は既に死んでいるが…

異姓養子禁止令その2

昨日の話だが、そういえば王平も同じ養子先から旧姓に戻ったクチだった。 どうやら王平も馬忠も少なくとも諸葛亮がいた時代は「何平」「狐忠」と呼ばれていたっぽい。 ということは、異姓養子禁止は諸葛亮死後になって行われたものということか?

異姓養子禁止令

馬忠字徳信、巴西閬中人也。少養外家、姓狐、名篤、後乃復姓、改名忠。 (『三国志』巻四十三、馬忠伝) 蜀漢の馬忠はもともとは狐氏の養子となっていたという。つまり生まれた時点では馬氏だったが、「狐篤」「狐忠」と名乗っていた時期があったのである。 …

ひとやすみ

今日は少々疲れてるので小休止。っていうか風の神殿で忙しいので・・・。

ひとこと

そういえば、「劉邦の娘」って呂后の子の魯元公主以外まるで聞かないよな・・・。 それなりの年齢まで育った男子が8人いたことを考えると、ほかにもいたと思うんだが・・・。 あれかな、呂氏と通婚したのが多くて呂氏誅滅で一緒に闇に消えたかな・・・。

劉邦の母族疎遠説

劉邦の母の一族の姿が史書に出てこないの、ずっと前に記事にした「劉邦の母は離縁して別居していたから」なのでは・・・? もとより離れ離れになっていた上に母本人が死んでいたとしたら、母の一族が劉邦に協力するというのは、近くにいなかったという点でも…

近況

3月も中旬に突入。 12月末から始めたゼルダ、やっと神殿3つ解放。早いのだか遅いのだかは知らない。

母の姓

劉邦の母の実家の姓は不明だったと思う。 王莽の母の実家の姓も不明だったと思う。 曹操の母の実家の姓も同様に不明である。父曹嵩の正妻は丁氏とされるが、だからといって曹操の母であったかどうかは不明である(その可能性が高いとは思うが)。 つまり、漢…

劉邦一家

そういえば、劉邦は兄弟の話は出てくるが、姉の夫とか姉の息子とか叔父とかいった者は記録上に現れてこないな・・・。 全くいなかったとも思いにくいが・・・。劉賈は従兄弟とされているから、実際叔父はどこかには存在したのだろうし。 奚涓がその可能性が…

買った本

www.kadokawa.co.jp 早速永野護氏の『ASH DECORATION』を買ってきた。 このあとじっくり読む。 少しだけ目を通したが、既にところどころ「何だこれは・・・?この登場人物の名がどうしてここに・・・?」みたいなのがある。

蕭何の妻

前漢には女性にして列侯になったとされる者が数名確認できる。 劉邦の兄嫁とされる陰安侯、呂后の妹臨光侯、魯侯奚涓の母で劉氏と言われる魯侯(重平侯)疵、そして蕭何の妻である。 蕭何の妻以外は、劉邦または呂后の縁戚、近親ということになる(魯侯は推…

思い付き

ただ思い付きなんだが、かの蕭何が高祖劉邦から留守を任されるほど信任され、死後も夫人や子孫がずっと特別待遇を受けていたらしい理由、これ「劉邦と縁戚だから」じゃないだろうか? 他の時代で言えば、曹操と夏侯惇なんかのような。

ひとこと(孫堅と孫和)

そういえば、かの韋昭は皇帝号を追贈された孫和の本紀を立てるのを拒絶したというが、生前皇帝ではなく後から追贈されたという点では同じ孫堅については本紀を立てていたのだろうか?それとも立ててなかったのだろうか? もし孫堅の本紀は立てていたとするな…

胡母

後漢末の「胡母班」など、「胡母」という姓がある。 胡母侯楚 濟北式王子。 二月癸酉封、十四年、元鼎五年、坐酎金免。 泰山 (『漢書』巻十五上、王子侯表上) 前漢の列侯に「胡母侯」という侯がいた。 通常、侯は封建される土地の名を冠するものなので、「…

合陽侯国と呉王国

昨日の記事で劉邦の兄劉喜(劉仲)は呉頃王とされたらしいことを書いた。 つまり彼は遡って呉王初代のような扱いになったということであるから、受け継ぐべき国も呉王国があるということになり、合陽侯国は不要である、ということになったのではないだろうか…

呉頃王

詔曰「蓋聞帝王以徳撫民、其次親親以相及也。昔堯睦九族、舜惇敘之。朕以皇帝幼年、且統國政、惟宗室子皆太祖高皇帝子孫及兄弟呉頃・楚元之後、漢元至今、十有餘萬人、雖有王侯之屬、莫能相糾、或陷入刑罪、教訓不至之咎也。・・・(後略)・・・」 (『漢書…

劉喜の後継者

漢の高祖劉邦の兄劉喜(劉仲)は代王になったが国を失い、合陽侯となった。 合陽 高祖兄。兵初起、侍太公守豐、天下已平、以六年正月立仲為代王。高祖八年、匈奴攻代、王弃國亡、廢為合陽侯。 八年九月丙子、侯劉仲元年。 仲子濞、為呉王。 以子吳王故、尊仲…

3月開始

3月になった。早速だが今日は疲れているので休息する。 なお、ゼルダはまだやっている。まだまだ中盤といったところだと思う。やっとゾーラの里をどうにかした。

劉沢

そういえば、高祖劉邦の親族で最終的に王になった燕王「劉沢」と同じ「劉沢」も、後の世にいたんだった。 昭帝の時に反乱者となった人物。 どうやら、以前の王などの著名人と同名になることもあり得たようだ。 皇帝と直接の先祖だけが避ける対象なのかもしれ…

劉交

前漢末期の成帝の時、会稽太守から宗正になった人物に「劉交」という名の者がいる。 高祖劉邦の弟の楚王が「劉交」なのだが、こういった人物と同姓同名でも問題無かったのだろうか?宗正劉交の方も同族だったとは思うのだが。

あと1か月ほど

今日も疲れた・・・。だんだんと年度末が近づくのを感じる。