消滅州

曹操の時、建安18年に涼州并州は合併によって消滅したとされる。

(馬)超果率諸戎以撃隴上郡縣、隴上郡縣皆應之、殺涼州刺史韋康、據冀城、有其衆。超自稱征西將軍、領并州牧、督涼州軍事。
(『三国志』巻三十六、馬超伝)


その前年頃、天水郡冀県を占拠した馬超は征西将軍・領并州牧・督涼州軍事を名乗ったという。



曹操の九州制が馬超の自称を意識したとは思わないが、馬超が名乗る、つまり影響力を行使しようとした対象の州がいずれも被合併の対象だったというのは面白い。


何か象徴的にも思える。