孫権と皇子

改めて孫権の皇子たちの諸侯王への封建を見てみると、そもそも孫慮は王になっておらず、その後に初めて王になったのがあの魯王孫覇


で、その魯王孫覇が死に、孫亮が皇太子となった2年後、太元2年に生きていた皇子全員である孫和・孫休・孫奮が王になっている。



ということは、太元2年までに王になったのは孫覇のみ。他の皇子たちは諸侯王になっていないままだったんだな。



この太元2年というのは孫権が「寝疾」となった翌年であり、孫権が死去した年である。



となると、この3皇子封建は代替わりを強く意識し、皇太子以外を都から「排除」しようとしたものなのだろう。そういう状況になって初めて諸侯王を立てたということになる。





孫権は、極端なまでに諸侯王を立てようとしない皇帝だった、ということだ。