挙主の死を喜ぶ男

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かつて劉備が死んだという虚報が流れた時に、かつて劉備に仕え、劉備が挙主でもあった袁渙だけは慶賀しなかった、という話がある(ほぼ同様な境遇だった陳群は慶賀したのだろう)。


及先主薨問至、魏羣臣咸賀、而(黄)權獨否。
(『三国志』巻四十三、黄権伝)


実際に劉備が死んだ時には、かつて劉備に仕えた黄権だけは慶賀しなかったという。




なおこの時に袁渙は既に死んでいるが、ほぼ同様な境遇だった陳群は健在だった。というか尚書僕射か尚書令として曹丕の朝廷において重臣となっていた。



陳群は最初の虚報の時も本当の凶報の時も、どちらも旧主にして挙主である劉備の死を他の群臣と共に慶賀したということなのだろう。