袁渙の理

袁宏漢紀曰、(袁)滂字公熙、純素寡欲、終不言人之短。當權寵之盛、或以同異致禍、滂獨中立於朝、故愛憎不及焉。
(『三国志』巻十一、袁渙伝注引『漢紀』)

袁氏世紀曰、(呂)布之破也、陳羣父子時亦在布之軍、見太祖皆拝。(袁)渙獨高揖不為禮、太祖甚嚴憚之。時太祖又給衆官車各數乗、使取布軍中物、唯其所欲。衆人皆重載、唯渙取書數百卷、資糧而已、衆人聞之、大慚。渙謂所親曰「脱我以行陳、令軍發足以為行糧而已、不以此為我有。由是厲名也、大悔恨之。」太祖益以此重焉。
(『三国志』巻十一、袁渙伝注引『袁氏世紀』)

三国志』袁渙伝裴松之注では、袁渙の父袁滂の伝や袁渙自身の話について袁宏『後漢紀』が引用されている。




また、同様に『袁氏世紀』なる書も引用されている。



袁氏世紀曰、(袁)渙有四子、侃・㝢・奧・準。・・・(中略)・・・準字孝尼、忠信公正、不恥下問、唯恐人之不勝已。以世事多險、故常恬退而不敢求進。著書十餘萬言、論治世之務、為易・周官・詩傳、及論五經滞義、聖人之微言、以傳於世。
此準之自序也。
(『三国志』巻十一、袁渙伝注引『袁氏世紀』)

・・・ん?『袁氏世紀』は袁渙の子の袁準の作ということか・・・?


袁瓌字山甫、陳郡陽夏人、魏郎中令渙之曾孫也。祖・父並早卒。瓌與弟猷欲奉母避亂、求為江淮間縣、拝呂令、轉江都、因南渡。
・・・(中略)・・・
猷孫宏、見文苑傳。
(『晋書』巻八十三、袁瓌伝)

後漢紀』編者の袁宏も袁渙の子孫だった・・・。




つまり、『三国志』袁渙伝注で引用される袁渙一族の素晴らしいエピソードは、袁渙の子孫たち自身の筆によるものだった、ということらしい。





子孫が先祖袁渙を称揚する文を発表し、それは子孫の袁氏の評判になって返ってくる。



これを袁渙の理という。