諸葛亮の初任官

赤壁後に諸葛亮は「以(諸葛)亮為軍師中郎將、使督零陵・桂陽・長沙三郡、調其賦税、以充軍實。」(『三国志諸葛亮伝)となったとされる。



それまで官に就いた形跡がないのにこういった職に就けられるというのは大抜擢だ。


よく考えると「郡の督」つまり監視・監察の役目なわけだから、実際には「新入りで劉備勢力内でのしがらみが少なく」「劉表にも曹操にも仕えていなかったから旧勢力とのしがらみも少ない」という立場の諸葛亮が適任だった、という感じなのかもしれない。




あと、この時に「中郎将」になっていることから考えると、諸葛亮は自身の手勢(私兵)をある程度引き連れていたんじゃないだろうか。



郡太守という軍事力も持つ存在を監督するのだから、監督役にもある程度の軍事力が必要。


その点でも、自ら率いる兵を持っていた諸葛亮は適任だった、のかもしれない。赤壁後に諸葛亮は「以(諸葛)亮為軍師中郎將、使督零陵・桂陽・長沙三郡、調其賦税、以充軍實。」(『三国志諸葛亮伝)となったとされる。



それまで官に就いた形跡がないのにこういった職に就けられるというのは大抜擢だ。


よく考えると「郡の督」つまり監視・監察の役目なわけだから、実際には「新入りで劉備勢力内でのしがらみが少なく」「劉表にも曹操にも仕えていなかったから旧勢力とのしがらみも少ない」という立場の諸葛亮が適任だった、という感じなのかもしれない。




あと、この時に「中郎将」になっていることから考えると、諸葛亮は自身の手勢(私兵)をある程度引き連れていたんじゃないだろうか。



郡太守という軍事力も持つ存在を監督するのだから、監督役にもある程度の軍事力が必要。


その点でも、自ら率いる兵を持っていた諸葛亮は適任だった、のかもしれない。