劉備、死す

時有傳劉備死者、羣臣皆賀。(袁)渙以嘗為備舉吏、獨不賀。居官數年卒、太祖為之流涕。
(『三国志』巻十一、袁渙伝)


この「劉備が死んだという報告を聞いた曹操の臣下たちはみな慶賀したが、かつて劉備の推挙という恩を受けた袁渙だけは慶賀しなかった」という、陳群の不義理がひそかに批判されている話だが、この話は曹操生前、魏公になって以降の事らしい。


つまり劉備が実際に死ぬ直前でも、呉に大敗した時でもない時にこの誤報は流れたことになる。




いつの事なのだろうか。


そういった流言が飛びそうな状況というと、劉備益州を攻めていた時だろうか。


だとしたら、死んだと思ったら益州征服してました、って話になるので、当時の曹操としてはかなりぬか喜びだったろうと思う。