長いものには巻かれろ

袁氏世紀曰、(呂)布之破也、陳羣父子時亦在布之軍、見太祖皆拝。(袁)渙獨高揖不為禮、太祖甚嚴憚之。
(『三国志』巻十一、袁渙伝)


かの袁渙とあの陳群親子は呂布の元にいたが、呂布曹操に敗れると彼らも解放された。



その際、陳群親子は曹操に拝礼を行ったのに対し、袁渙は拝礼を行わなかった。曹操に仕えているわけではない、ということか。



袁渙が君臣の筋目を付けていたのに対し、陳群は少々節操がないのではないか、という印象の話になるのだと思う。




昨日の劉備の死を巡る話も含め、陳群は「そういう人物」という認識があったのではなかろうか?