晋の丞相司直

劉隗字大連、彭城人、楚元王交之後也。父砥、東光令。隗少有文翰、起家祕書郎、稍遷冠軍將軍・彭城内史。避亂渡江、元帝以為從事中郎。
隗雅習文史、善求人主意、帝深器遇之。遷丞相司直、委以刑憲。
(『晋書』巻六十九、劉隗伝)

及有變、司直彈劾衆官元帝不問、遂頻旱三年。
(『晋書』巻二十八、五行志中、赤眚赤祥)

晋の元帝司馬睿が丞相だった時、丞相司直も置かれている。



前漢の丞相司直同様に官僚たちを監察弾劾する官だったようだ。




多分、直接的には後漢末の丞相司直、つまり曹操の丞相司直を参照したものなのだろう。




司馬睿が評価した劉隗を就けているあたり、司馬睿の丞相府ではかなり枢要な地位と認識されていたと思う。