(韋)賢四子。長子方山為高寢令、早終。次子弘、至東海太守。次子舜、留魯守墳墓。少子玄成、復以明經歴位至丞相。
故鄒魯諺曰「遺子黃金満籯、不如一經。」
(『漢書』巻七十三、韋賢伝)
前漢の韋賢は儒学を修めて丞相となり、同じく子の韋玄成も儒学で名を立て丞相となった。
こういった事から当時の魯では「子に籠いっぱいの黄金を残すより、経書の学を残す方がいい」ということわざが出来た、という。
儒学を修め、子にも儒学を学ばせたことで黄金を残す以上のリターンがあった、という事だろう。
以前、前漢の魯国では吝嗇で利益を重視する者が多かった、という話をしたが、この話と合わせて考えると味わい深い。
そのことわざは、魯においてそれまで拝金主義の傾向が強かったからこそ、出てきたのではなかろうか。
「学問はカネになる」と言っているようにも見えるし。