はがない

成恭杜皇后諱陵陽、京兆人、鎮南將軍預之曾孫也。父乂、見外戚傳。
成帝以后奕世名徳、咸康二年備禮拝為皇后、即日入宮。帝御太極前殿、羣臣畢賀、晝漏盡、懸籥、百官乃罷。后少有姿色、然長猶無齒、有來求婚者輒中止。及帝納采之日、一夜齒盡生。改宣城陵陽縣為廣陽縣。
七年三月、后崩、年二十一。外官五日一臨、内官旦一入、葬訖止。后在位六年、無子。
(『晋書』巻三十二、后妃伝下、成恭杜皇后)


晋の成帝の皇后杜氏は、あの杜預の曾孫であった。




この杜氏はどうも上記引用を読む限りでは15歳くらいの時にいきなり皇后に立てられたようだが、その時まで歯が生えていなかったという。



そのせいで縁談があっても破談になっていた。



だが、成帝との結婚の日になると急に歯が生え揃ったのだそうだ。





漢の宣帝の許皇后が結婚しようとする時に夫になる人が死んでしまったという話と同様、皇后になる運命の人間なのでそれ以外の縁談が超自然的な何かで遮られる、みたいな事なのだろうか。





実際のところ、本当に歯が生えておらず縁談も潰れていたなら、その話が成帝たちの元に全く届かずにいたというのは少々考えにくいところで、成帝たちはそれを知って敢えて皇后に選んだんだろうか、という疑問は残る。というか、でっち上げだろ?と言いたい気持ちはある。


でもまあ、何かのトリックを使っただけで成帝や後宮の人々にとっては実際に起こった事だったかもしれないし、本当に超自然的な現象だったかもしれないし、断言はしないでおく。