仲長統『昌言』損益篇を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/20/000100)の続き。






向者、天下戸過千萬、除其老弱、但戸一丁壯、則千萬人也。遺漏既多、又蠻夷戎狄居漢地者尚不在焉。丁壯十人之中、必有堪為其什伍之長、推什長已上、則百萬人也。又十取之、則佐史之才已上十萬人也。又十取之、則可使在政理之位者萬人也。以筋力用者謂之人、人求丁壯。以才智用者謂之士、士貴耆老。充此制以用天下之人、猶將有儲、何嫌乎不足也?故物有不求、未有無物之歳也。士有不用、未有少士之世也。夫如此、然後可以用天性、究人理、興頓廢、屬斷絶、網羅遺漏、拱柙天人矣。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

先に、天下には一千万以上の戸数があった。老人や子供を除き、一戸に壮丁は一人ずつと想定すれば、壮丁は一千万人である。更に遺漏も多いし、異民族たちで漢の内地にいる者は含まれていない。



壮丁十人の中には、必ず十人組・五人組の長になれる者がいる。それらの長以上は百万人いる事になる。また十人に一人を取れば、佐史以上になれる者が十万人いる事になる。また更に十人に一人を取れば、政治を任せられる者が一万人いる事になる。



筋力によって働く者を「人」と言い、「人」としては壮丁を求めるものである。知恵働きをする者を「士」といい、「士」としては老年者を尊ぶものである。この制度によって天下の人々を使うなら、不足なく余裕があることだろう。



ある物を求めない年はあるかもしれないが、ある物がまるで無いという年は無い。「士」を必要としない時代はあるかもしれないが、「士」が不足するという時代は無いのである。このようにすれば、人々の天性の能力に応じて人を用い、断絶した家を再興し、遺漏が起こらないようにし、天命を奉じる事が出来るのだ。







労働力としては若者を使え、頭脳労働は年長者を使え、という、合理的なような身も蓋もないような主張。



ちなみに仲長統自身はこういった事を主張していた頃は結構若かったと思うのだが、自分は今は壮丁でもいいと思っていたのだろうか?