『後漢書』孝霊帝紀を読んでみよう:その6

その5(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/03/26/000100)の続き。





四年春正月甲子、帝加元服大赦天下。賜公卿以下各有差、唯黨人不赦。
二月癸卯、地震、海水溢、河水清。
三月辛酉朔、日有食之。
太尉聞人襲免、太僕李咸為太尉。
詔公卿至六百石各上封事。
大疫、使中謁者巡行致醫藥。
司徒許訓免、司空橋玄為司徒。
夏四月、太常來豔為司空。
五月、河東地裂、雨雹、山水暴出。
秋七月、司空來豔免。
癸丑、立貴人宋氏為皇后。
司徒橋玄免。太常宗倶為司空、前司空許栩為司徒。
冬、鮮卑并州
(『後漢書』紀第八、孝霊帝紀)

建寧4年。



霊帝元服し、皇后を立てた。



ただ、この皇后宋氏は嫡子を産んでいるといった事ではなく、あまり寵愛されていなかったとも言われる。



なお、宋皇后の一族はとある有名人と縁戚であったが、それは後日詳しく語る事になるだろう。