『晋書』武帝紀を読んでみよう:その12

その11(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/09/26/000100)の続き。





秋八月、罷都護將軍、以其五署還光祿勳。
九月甲申、詔曰「古者以徳詔爵、以庸制祿、雖下士猶食上農、外足以奉公忘私、内足以養親施惠。今在位者祿不代耕、非所以崇化之本也。其議增吏俸。」
賜王公以下帛各有差。
以太尉何曾為太保、義陽王望為太尉、司空荀顗為司徒。
冬十月、聽士卒遭父母喪者、非在疆埸、皆得奔赴。
十二月、徙宗聖侯孔震為奉聖亭侯。山陽公劉康來朝。禁星氣讖緯之學。
(『晋書』巻三、武帝紀)

泰始3年の後半。



これまで都護将軍は「五署」を統括していたが、これを光禄勲に戻したそうだ。


この「五署」とは何か。「三署」というのは左・右・五官郎だという事なので、「五署」はそれプラス羽林と虎賁だろうか?



あ、これもしかして建安年間に三署郎・羽林・虎賁を皇帝直属から将軍の元へ付けたのが始まり・・・?*1




官吏の俸給を増加しようという話も、後漢末から魏において俸給が削られてきた流れがあったのだろう。



晋は地味に魏からの脱却を図ろうとしているのかもしれない。

*1:建安年間の都護将軍は夏侯淵曹洪が記録にある。