『後漢書』孝霊帝紀を読んでみよう:その18

その17(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/04/08/000100)の続き。





五年春正月辛未、大赦天下。
二月、大疫。
三月、司徒陳耽免。
夏四月、旱。
太常袁隗為司徒。
五月庚申、永樂宮置灾。
秋七月、有星孛于太微。
巴郡板楯蠻詣太守曹謙降。
癸酉、令繫囚罪未決、入縑贖。
八月、起四百尺觀於阿亭道。
冬十月、太尉許𢒰罷、太常楊賜為太尉。
校獵上林苑、歴函谷關、遂巡狩于廣成苑。
十二月、還、幸太學。
(『後漢書』紀第八、孝霊帝紀)

光和5年。



なんだか、三公が数名で持ち回りになっている気がする。



この当時は就任に裏で金を取っていたと言われているわけで、つまり三公を何度もチェンジすればそのたびに金を取れたから、わざと頻繁に交代させていた、なんてことはないよね・・・?