『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その71

その70(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/02/04/000200)の続き。





讚曰、高祖起於布衣之中、奮劍而取天下、不由唐・虞之禪、不階湯・武之王、龍行虎變、率從風雲、征亂伐暴、廓清帝宇、八載之間、海内克定、遂荷天之衢、登建皇極、上古已來、書籍所載、未嘗有也。非雄俊之才、寬明之略、歴數所授、神祇所相、安能致功如此。夫帝王之作、必有神人之助、非徳無以建業、非命無以定衆、或以文昭、或以武興、或以聖立、或以人崇、焚魚斬蛇、異功同符、豈非精靈之感哉。書曰、天工人其代之。易曰、湯・武革命、順乎天而應乎人。其斯之謂乎。故觀秦・項之所亡、察大漢之所興、得失之驗、可見於茲矣。太史公曰、夏政忠、政忠之弊野。故殷承之以敬、以敬之弊鬼。故周承之以文、以文之弊薄。救薄莫若忠。三王之道、周而復始。周・秦之間、可謂文弊。秦不改、反酷刑。漢承秦弊、得天統矣。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第四)

ラスト。



これは『史記』高祖本紀等からの引用などによる、いわば「まとめ」である。



劉邦の天下取りが、(唐)堯・(虞)舜のような禅譲とも、(殷)湯王や(周)武王のような放伐とも違う形であった、という指摘は割と重要かもしれない。



ただ、「これまで記録される中で未だかつて存在しなかった」といった表現などは、この『漢紀』そのものが劉邦を太祖とする漢王朝において語られているという事も念頭に置いて評価すべきだろう。




また、『漢紀』成立時期には少々漢王朝の権威が低下しつつあった事を踏まえると、この劉邦上げは、「この劉邦と同程度の空前絶後の功績を上げなければ、漢王朝に代わる皇帝になどなれないのだぞ」と当時の群雄や摂政などに釘を刺そうという意図もあったりしたのかもしれない。