『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その66

その65(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/26/000200)の続き。





十二年冬十月、上破(英)布軍。布走江南、長沙王使人殺之。
上撃布也、數使使勞相國。或謂何曰、君居關中、甚得百姓心、上畏君傾動關中。君何不多買人田宅、賤貰貸以自汙。不然、上心不安。何從之。
上還過沛、悉召故人父老子弟置酒。上自歌曰、大風起兮雲飛揚、威加海内兮歸故郷、安得猛士兮守四方。上乃起舞、慷慨傷懷、泣數行下。歎息曰、游子悲故郷、吾萬歳之後、魂魄猶思沛。其以沛為朕湯沐邑、復其人、世無所與。又以豐比沛。
既至長安、立豐縣。豐之枌榆故廬社、皆如舊制也。
周勃定代、斬陳豨。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第四)

英布(黥布)、長沙王に殺される。

陳勝之起也、(英)布迺見番君、與其衆叛秦、聚兵數千人。番君以其女妻之。
(『史記』巻九十一、黥布列伝)


当時の長沙王というのは番君呉芮の子であるはずなので、つまり英布は妻の実家サイドによって殺されたのである。




また、蕭何が劉邦からの嫌疑を避けるために、敢えて評判を落とす、というのは示唆的である。あまりに評価が高くなりすぎたナンバー2は主君を脅かすのである、ってな感じの事をオーベルシュタインが言ってた。




劉邦、生まれ故郷に特権を与える。ただ、実際のところ、沛には惜しげなく与えたが、豊に対してはものすごく渋っていた




この記事で劉邦が立てたという「豊県」というのは、「新豊」の事だろうか?関中内に再現していた「豊」が完成し、県として扱うようにした、という事かもしれない。