『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その26

その25(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181202/1543713797)の続き。





二年冬十月、項羽使九江王布殺義帝于郴。
陳餘既怒張耳、且怒項羽之不王己也、乃請兵于齊以伐趙、破常山・趙王。張耳欲走楚、齊客有甘公者説耳曰、漢王入秦、五星從歳星於東井。其占曰當以義取天下。漢入秦可謂能義矣。楚雖彊、後終屬於漢耳。乃走漢。
漢以故秦柱下史陽武人張蒼為常山太守。
陳餘迎趙王歇、反之於趙、立餘為代王。餘以趙王弱乃使夏説為國相居代、餘相趙。
張耳間行歸漢、漢以為成信侯。
河南王・韓王來降。
十有一月、立舊韓王孫信為韓王、使諸將略地。若一郡降者、封萬戸侯。
王使人招陳餘。陳餘曰、漢殺張耳乃從。漢乃求人類耳者送其首、餘將從漢、聞耳詐死、乃止。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第二)

項羽は九江王黥布(英布)らに義帝(楚の懐王)を殺させた。ただ、前段で黥布と項羽の関係が悪化していたという話が出てきているので、このあたりの話の順番は検討が必要かもしれない。



何にせよ、項羽サイドが主君であるはずの義帝を殺した事には違いないのだろう。




趙方面においては項羽体制で割を食った陳余が逆襲。項羽に優遇されていた張耳は放逐された。



だが項羽に対して恩義があった(秦に包囲されていたのを助けられた)張耳は、項羽と劉邦の将来性を秤にかけて劉邦の元に逃げ込む事を選んだ。



戦乱の時代以前から劉邦とは付き合いがあったとはいえ、畜生気味に冷静な判断である。




そして劉邦劉邦で、張耳を宿敵としている陳余に「張耳の首を持ってきたぞ」と偽って陳余を味方に付けようとしたが、バレたので陳余と張耳を両方味方にする策は失敗。




だが、劉邦はその間にも河南王・韓王を下している。つまり洛陽近辺まで劉邦サイドが進出したという事であり、もう項羽の領地に接しつつあるのである。


恐ろしいスピードで項羽が一直線に狙われているのだ。