『史記』陳渉世家を読んでみよう:その4

その3(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180722/1532187046)の続き。





陳勝自立為將軍、呉廣為都尉。
攻大澤郷、收而攻蘄。蘄下、乃令符離人葛嬰將兵徇蘄以東。
攻銍・酇・苦・柘・譙皆下之。行收兵。
比至陳、車六七百乗、騎千餘、卒數萬人。攻陳、陳守令皆不在、獨守丞與戰譙門中。弗勝、守丞死、乃入據陳。數日、號令召三老・豪傑與皆來會計事。三老・豪傑皆曰「將軍身被堅執鋭、伐無道、誅暴秦、復立楚國之社稷、功宜為王。」陳渉乃立為王、號為張楚
(『史記』巻四十八、陳渉世家)

陳勝は将軍、呉広は都尉を称して挙兵、周辺の県を降伏させて兵を増やし、一万以上の軍勢となって陳県を落とした。



陳県で陳勝は楚の社稷を復活させ、楚王を称したのである。




この時に陳勝らが下した県は劉邦のいた沛からも近く、この事件は当然に劉邦にも影響を与える事になる。




なお、劉邦はこの時既に秦から逃げて山中に隠れていた。