『史記』項羽本紀を読んでみよう:その11

その10(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180826/1535209646)の続き。





行至安陽、留四十六日不進。
項羽曰「吾聞秦軍圍趙王鉅鹿、疾引兵渡河、楚撃其外、趙應其内、破秦軍必矣。」宋義曰「不然。夫搏牛之蝱不可以破蟣蝨。今秦攻趙、戰勝則兵罷、我承其敝。不勝、則我引兵鼓行而西、必舉秦矣。故不如先鬬秦趙。夫被堅執鋭、義不如公。坐而運策、公不如義。」因下令軍中曰「猛如虎、很如羊、貪如狼、彊不可使者、皆斬之。」乃遣其子宋襄相齊、身送之至無鹽、飲酒高會。天寒大雨、士卒凍飢。
項羽曰「將戮力而攻秦、久留不行。今歳饑民貧、士卒食芋菽、軍無見糧、乃飲酒高會、不引兵渡河因趙食、與趙并力攻秦、乃曰『承其敝』。夫以秦之彊、攻新造之趙、其勢必舉趙。趙舉而秦彊、何敝之承!且國兵新破、王坐不安席、埽境内而專屬於將軍、國家安危、在此一舉。今不恤士卒而徇其私、非社稷之臣。」
項羽晨朝上將軍宋義、即其帳中斬宋義頭、出令軍中曰「宋義與齊謀反楚、楚王陰令羽誅之。」當是時、諸將皆慴服、莫敢枝梧。皆曰「首立楚者、將軍家也。今將軍誅亂。」乃相與共立羽為假上將軍。使人追宋義子、及之齊、殺之。使桓楚報命於懷王。懷王因使項羽為上將軍、當陽君・蒲將軍皆屬項羽
(『史記』巻七、項羽本紀)


項羽、宋義を殺す。




懐王が命じた総大将殺しであるから、主君への反逆と言い得るものであるが、項羽にも項羽なりの義はあったのだろう。



というか、陳勝の時にも諸将が総大将呉広にダメ出しして殺しちゃっていて、楚王陳勝はそれを追認しちゃっている項羽も同じ事をしたと言っていいだろう。



だが、ここまでやったからにはそれなりの戦果を上げないと面目が潰れるどころかただの反乱者になってしまうので命が無い。





また、項羽から見ると宋義というのは項梁に与せずに項梁戦死の一因を作ったとも言える斉と繋がっていたわけで、その点でも宋義を殺したかったのだろう。



ただ、宋義は単なる裏切り者ではなく、いったん悪化した楚と斉の関係を改善しようとしていた人物と見る事も出来るようにも思う。




張耳・陳餘説武臣曰「王王趙、非楚意、特以計賀王。楚已滅秦、必加兵於趙。願王毋西兵、北徇燕・代、南收河内以自廣。趙南據大河、北有燕・代、楚雖勝秦、必不敢制趙。」趙王以為然、因不西兵、而使韓廣略燕、李良略常山、張黶略上黨。
(『史記』巻八十九、張耳陳余列伝)


なお、宋義は事実上趙を見捨てるような畜生戦略を取ろうとしていたわけだが、包囲されている側の趙の張耳はかつて上記のように「楚が秦を滅ぼしたら今度は趙が攻められる番になるから、楚に協力せず周囲を占領していよう」と考えていた。



この時の宋義の戦略はまあ畜生気味だが、張耳もまた畜生戦略を立てていたわけで、あまり同情できない感じがある事は指摘しておこう。




組織や人員の一部を陳勝時代から引き継いでいると思われる懐王の楚からすれば、趙(張耳・陳余)は信用出来ない相手に見えていたのではなかろうか。