『史記』陳渉世家を読んでみよう:その3

その2(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180721/1532099459)の続き。





呉廣素愛人、士卒多為用者。將尉醉、廣故數言欲亡、忿恚尉、令辱之、以激怒其衆。尉果笞廣。尉劍挺、廣起、奪而殺尉。陳勝佐之、并殺両尉。
召令徒屬曰「公等遇雨、皆已失期、失期當斬。藉弟令毋斬、而戍死者固十六七。且壯士不死即已、死即舉大名耳、王侯將相寧有種乎!」徒屬皆曰「敬受命。」
乃詐稱公子扶蘇・項燕、從民欲也。袒右、稱大楚。為壇而盟、祭以尉首。
(『史記』巻四十八、陳渉世家)

呉広はわざと上官(尉)を怒らせ、敢えて鞭打たれる事で配下の兵たちを憤激させた上でその上官を殺した。いきなり上官を殺したらただの反逆者だが、上官の方が酷いと思わせておけば上官殺しは目撃した兵たちの間では「造反有理」になるという事なのだろう。




そして陳勝呉広は自分たちが率いていた連中を集めて演説した。



「君たちはもう期限に遅れているから、待っているのは首チョンパだ。万一死刑は免れたとしても、もともと辺境防衛の任務は十人中六、七人は死ぬという超絶ブラックな環境である。死なないというならそれまでの事だろうが、いずれにしても死んでしまうのだから、名を上げるような壮挙をするしかないじゃないか。王・侯や将軍・宰相も決められた血筋以外なれないわけではないのだぞ」



このアジテーションに奮起したのか、自分たちが置かれている状況を理解して挙兵するしかないと思ったのか、とにかく彼らは陳勝呉広の挙兵に従う事となった。





その際には神霊に対して生贄を捧げる儀式をしたらしいが、その生贄とは殺した上官の首であったという。






命以外に何も持たない「無敵の人」陳勝たちは、その命も奪われるしかないといった状況に陥った結果、やぶれかぶれ気味の挙兵に走ったのだった。