『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その15

その14の続き。


又侍郎王盱見人衣白布單衣、赤繢方領、冠小冠、立于王路殿前、謂盱曰『今日天同色、以天下人民屬皇帝。』盱怪之、行十餘歩、人忽不見。至丙寅暮、漢氏高廟有金匱圖策『高帝承天命、以國傳新皇帝。』明旦、宗伯忠孝侯劉宏以聞、乃召公卿議、未決、而大神石人談曰『趣新皇帝之高廟受命、毋留!』於是新皇帝立登車、之漢氏高廟受命。受命之日、丁卯也。丁、火、漢氏之徳也。卯、劉姓所以為字也。明漢劉火徳盡、而傳於新室也。皇帝謙謙、既備固讓、十二符應迫著、命不可辭、懼然祗畏、葦然閔漢氏之終不可濟、斖斖在左右之不得從意、為之三夜不御寢、三日不御食、延問公侯卿大夫、僉曰『宜奉如上天威命。』於是乃改元定號、海内更始。新室既定、神祇懽喜、申以福應、吉瑞累仍。詩曰『宜民宜人、受祿于天。保右命之、自天申之。』此之謂也。」
五威將奉符命、齎印綬、王侯以下及吏官名更者、外及匈奴・西域、徼外蠻夷、皆即授新室印綬、因收故漢印綬
賜吏爵人二級、民爵人一級、女子百戸羊酒、蠻夷幣帛各有差。
大赦天下。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

また侍郎の王盱という者が白い衣を着て赤い縫い取りのある上着をまとい、小さな冠を付けた人間を見た。その者は宮殿の前に立って王盱に「今日、天下は同じ色である。天下の人々を皇帝に託す」と言った。王盱は怪しんだが、十数歩歩いたらその人間は忽然と見えなくなった。
丙寅の暮れになって漢の高皇帝廟に金の箱の中の図と策書があり、「高皇帝は天命を受けて天下を新皇帝に伝える」と書かれていた。宗伯の忠孝侯劉宏が報告し、三公九卿以下を集めて議論させたが結論がでなかった。そうしたところ大きな神石の人が「新皇帝に高皇帝廟へ行って天命を受けるよう促せ。留まってはならん」と言った。
そこで新皇帝はすぐに馬車に乗って高皇帝廟へ行って天命を受けた。天命を受けた日は丁卯であったが、「丁」は漢王朝の火徳に当たり、「卯」は漢王朝姓の「劉」という字に使われている字である。劉氏の漢の火徳の命脈が尽きて新王朝に伝えられることは明らかである。
皇帝は固く辞退したが十二の予兆が迫り、天命を辞退することができず、茫然自失となって恐れおののき、漢王朝を遂に助けられずに終わったことを悼んで動揺し、漢を補佐することに努めようとの思いを遂げられなかったため、三日三晩に渡って寝食を満足に取ることもできず、諸侯や大臣たちに意見を求めたが、皆「天の威命の通りにするべきです」と言った。そこで改元して称号を定め、天下全てを新規まき直しした。
新王朝が定まると神も喜んで福をもたらし、瑞祥が重ねて出現した。『詩経』に「人々にとって宜しい徳があれば天から福が下る。天は守り助けて天下を治めるよう命じる」と言っているのはこの事である。」



五威将は天からの予兆を奉じ、印綬を持参し、諸侯以下官吏に至るまでの称号、官名が変わった者、および匈奴や西域、塞外の異民族たちのに新しい印綬を授け、もとの漢の印綬を回収させた。



官吏に爵位二つ、民に爵位一つ、女子に百戸ごとに羊の肉と酒、異民族に等級ごとに貨幣や絹をそれぞれ下賜した。



天下に大赦令を下した。



王莽、天がどうしてもって言うから仕方なく即位したと言い募るの巻。




辞退祭りであったことと皇帝の座に就くことの矛盾を解消するには、より上位で、命令は絶対で許してもくれないという相手が出てくるしかない。




そして、五威将たちの本当の任務は、諸侯王や列侯、太守といった連中から漢の爵位や官位を回収して新のそれと交換させることだった、ということのようだ。



諸侯王にとっては事実上地位が下がることなので、下手をすれば暴発を起こしかねないわけであるから、軍容を整える(少なくとも名義上は)必要があったのだろう。