『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その14

その13の続き。


總而説之曰「帝王受命、必有徳祥之符瑞、協成五命、申以福應、然後能立巍巍之功、傳于子孫、永享無窮之祚。故新室之興也、徳祥發於漢三七九世之後。肇命於新都、受瑞於黄支、開王於武功、定命於子同、成命於巴宕、申福於十二應、天所以保祐新室者深矣、固矣!武功丹石出於漢氏平帝末年、火徳銷盡、土徳當代、皇天眷然、去漢與新、以丹石始命於皇帝。皇帝謙讓、以攝居之、未當天意、故其秋七月、天重以三能文馬。皇帝復謙讓、未即位、故三以鐵契、四以石龜、五以虞符、六以文圭、七以玄印、八以茂陵石書、九以玄龍石、十以神井、十一以大神石、十二以銅符帛圖。申命之瑞、寖以顯著、至于十二、以昭告新皇帝。皇帝深惟上天之威不可不畏、故去攝號、猶尚稱假、改元為初始、欲以承塞天命、克厭上帝之心。然非皇天所以鄭重降符命之意。故是日天復決以勉書。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

その内容を総合してこう説いた。「帝王が天命を受ける際には、必ず徳について符合する瑞祥があって五行の順番通りとなり、重ねて福への呼応があり、その後大きな功績を立てて子孫に受け継ぎ、永遠に続く天からの祝福を受けるのである。故に新王朝が勃興する歳は、徳についての瑞祥は漢の三七の年数、九世代の後に興った。最初に新都侯に命じられ、瑞祥を黄支国から受け、武功県から天子となるよう命じる文が出現し、梓潼県(子同)から出た金の箱で天命が定まり、巴郡の石で天命は完成した。福に応じた事柄が十二起こったのである。天がかくも深く新王朝を守り助けようと思っているのであることは明らかである。
武功県の赤い文字が書かれた石は漢の平帝の末年に出現した。火徳が燃え尽き、土徳が変わるべきであるということとなり、天は漢から新へ天命を移そうと思い、そこで赤い文字の石によって皇帝になるよう命じたのである。
皇帝は辞退して摂皇帝となったが、天の思いを満たさなかったため、秋七月になって天は重ねて「三能」の星座やシマウマという形で天意を示した。
皇帝はまた謙譲して即位しなかったので、三つ目に鉄の割符、四つ目に石の亀、五つ目に虞舜の割符、六つ目に文章の書かれた圭、七つ目に黒い印、八つ目に茂陵の石に書かれた文、九つ目に黒い竜の石、十個目に神の井戸、十一個目に大きな神の石、十二個目に銅の割符と絹に書かれた図を下した。次第に顕著になって十二にいたり、明らかに新皇帝になるべきことを告げたのである。
皇帝は深く天の威光を恐れずにはいられないと思い、「摂」の号を取り去ったが「仮」を名乗って「初始」と改元し、天命の要求を満たし上帝の心を収めようと思ったのである。しかしながら天がしきりに天の意思を下した本意ではなかったため、天はまた皇帝になるよう命じる書を下すことを決意したのである。



王莽が五威将とやらに広めさせた怪奇現象のサマリーというところか。



一部初耳な瑞祥もあるが、多くは『漢書』王莽伝上で言及されているので、気になった人は読み返してみていはいかがだろうか(宣伝)



この文章はまだ終わっていないので次回に続く。