『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その10

その9の続き。


又曰「予前在大麓、至于攝假、深惟漢氏三七之阸、赤徳氣盡、思索廣求、所以輔劉延期之術、靡所不用。以故作金刀之利、幾以濟之。然自孔子作春秋以為後王法、至于哀之十四而一代畢、協之於今、亦哀之十四也。赤世計盡、終不可強濟。皇天明威、黄徳當興、隆顯大命、屬予以天下。今百姓咸言皇天革漢而立新、廢劉而興王。夫『劉』之為字『卯・金・刀』也、正月剛卯、金刀之利,皆不得行。博謀卿士、僉曰天人同應、昭然著明。其去剛卯莫以為佩、除刀錢勿以為利、承順天心、快百姓意。」
乃更作小錢、徑六分、重一銖、文曰「小錢直一」、與前「大錢五十」者為二品、並行。欲防民盜鑄、乃禁不得挾銅炭。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

王莽はまたこう言った。「予は以前大司馬や宰衡であった時から摂皇帝、仮皇帝となるに至るまで、漢王朝の「三七の厄」や赤の徳が尽きようとしていることについて深く考え、劉氏を助けて期限を延ばすための方策を広く探し求め、用いないものはなかった。故に「金刀」の貨幣を作ってその助けになることを願ったのである。しかし孔子は『春秋』を作って後の世の王の手本としたが、哀公十四年にして終わっている。これを今に照らし合わせると、今は哀帝十四年にあたるのである。赤徳の漢の世は終わったのであり、強いて助けようとしてもできないのである。天は明らかなる威厳を示し、黄徳がまさに起こり、おおいなる天命を下そうとし、予に天下を任せたのである。
今、人々はみな天が漢王朝を改めて新王朝を立て、劉氏を廃して王氏を興そうとしている、と言っている。そもそも、「劉」という字は「卯」と「金」と「刀」という字に分解できるので、正月に帯びる「剛卯」や金刀はどれも用いるべきではない。広く大臣たちと謀ったところ、皆、天と人は共に呼応することは明らかであると言っている。
「剛卯」は廃止して帯びることを禁じ、刀銭は廃止して通用させることを禁じ、天の心に従い、人々の気持ちを喜ばせるものである。」



そこで改めて小銭を作り、直径六分、重さ一銖とし、文面を「小銭直一」とした。前に作った「大銭五十」と合わせて二種を通用させた。民の盗鋳を防ぐため、銅や炭を持つことを禁止した。


「哀之十四」とは、『春秋』公羊伝・穀梁伝における『春秋』経は哀公十四年の「西狩獲麟」で終わっていることを言っている。そして王莽が即位した年は漢の哀帝の建平元年から数えると十四年ということになるのだ。





そして有名な「卯金刀」である。「劉」という字を分解するとその三文字になる、ということだ。



劉氏の時代ではないので、「劉」という字も公式な場から追放したいということらしい。


「金刀」というのは、居摂二年に王莽が制定した「契刀」などのことを言うのだろう。どうやら、王莽の言うところでは「契刀」などを新たに作ったこと自体が「「金」「刀」を字に含む劉氏をまた盛り上げるため」ということのようだ。



また「剛卯」とは正月の「卯」の日に帯びることになっている装身具であるらしい。一種の魔除けみたいなものか。





それにしても、直径2センチにも満たず、五銖銭本来の重さの五分の一の重さでありながら「直一」と言っているということは、これをこれまでの五銖銭と同じ価値であるとして流通させようとしている、ということになる。


この改鋳は波乱の香りがしますねえ・・・。