『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その9

その8の続き。


以漢高廟為文祖廟。
莽曰「予之皇始祖考虞帝受嬗于唐、漢氏初祖唐帝、世有傳國之象、予復親受金策於漢高皇帝之靈。惟思襃厚前代、何有忘時?漢氏祖宗有七、以禮立廟于定安國。其園寢廟在京師者、勿罷、祠薦如故。予以秋九月親入漢氏高・元・成・平之廟。諸劉更屬籍京兆大尹、勿解其復、各終厥身、州牧數存問、勿令有侵冤。」
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

漢の高皇帝(劉邦)の廟を「文祖廟」とした。



王莽は言った。「予の始祖である虞舜は唐堯より禅譲を受けた。漢王朝の始祖は唐堯である。代々国譲りをするという形があったのであり、予もまた自ら金の箱の策書を漢の高皇帝の神霊より受け取った。前の代を称賛し手厚くすることをいつ忘れることができようか。漢王朝の祖宗の廟は七つあり、礼によって廟を定安国に建てている。その陵墓や廟で都(長安)にあるものは廃止せず、これまで通り祭祀や供え物をするように。予は九月に自ら漢王朝の高・元・成・平帝の廟に入る。劉氏たちの籍は改めて京兆大尹に所属させ、徭役免除の特権は解除せず、その者の一生が終わるまで続けるものとする。州牧は劉氏たちを何度も訪問して安否を確認し、罪も無いのに酷い扱いをしてはならない。」



王莽、漢の皇帝廟を存続させる。




だが今回の問題点はそこではなく、たぶん「勿解其復、各終厥身」ではなかろうか。



これは「劉氏が宗室として有していた徭役免除の特権は<現在特権を受けている者については>存続させる」と言う意味だろう。


言い換えると、今後新たに徭役免除を受けられる者はいない、ということだ。


段階的に劉氏の特権を取り去っていくということになる。まあ、新たな王朝になったのだから当然と言えば当然なのだが。



この決定が劉氏の不満や不安を掻き立てるだろうということは十分に予想されるところだ。