九虎将軍

(王)莽拜將軍九人、皆以虎為號、號曰「九虎」、將北軍精兵數萬人東、内其妻子宮中以為質。時省中黄金萬斤者為一匱、尚有六十匱、黄門・鉤盾・臧府・中尚方處處各有數匱。長樂御府・中御府及都内・平準帑藏錢帛珠玉財物甚衆、莽愈愛之、賜九虎士人四千錢。衆重怨、無鬬意。九虎至華陰回谿、距隘、北從河南至山。于匡持數千弩、乗堆挑戰。訒曄將二萬餘人從閿郷南出棗街作姑、破其一部、北出九虎後撃之。六虎敗走。史熊・王況詣闕歸死、莽使使責死者安在、皆自殺。其四虎亡。三虎郭欽・陳翬・成重收散卒、保京師倉。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

王莽は治世の末期、反乱軍(更始帝ら)が間近に迫る中で反乱軍討伐の将軍たち九人に全て「虎」と付く号を与え、「九虎」と称したという。




この九虎将軍の兵士たちは王莽が下賜する金をケチったことで戦意が無く、反乱軍にあっさり返り討ちにあって敗走したそうな。





かの有名な(創作上の)五人の戦鬼「五虎将軍」が王莽の史実に取材したものであるのかどうかは知らない。