私は飲み会で職を失いました

(桓)彬少與蔡邕齊名。初舉孝廉、拜尚書郎。
中常侍曹節女壻馮方亦為郎、彬窅志操、與左丞劉歆・右丞杜希同好交善、未嘗與方共酒食之會、方深怨之、遂章言彬等為酒黨。
事下尚書令劉猛、猛雅善彬等、不舉正其事、節大怒、劾奏猛、以為阿黨、請收下詔獄、在朝者為之寒心、猛意氣自若、旬日得出、免官禁錮。彬遂以廢。
(『後漢書』列伝第二十七、桓栄伝)

後漢の沛国の名門桓氏の一員桓彬は、尚書郎になったときに尚書左丞、尚書右丞と仲良くしたが、同じ尚書郎の馮方とは一度の一緒に飲み会をしなかった。



というのも、馮方は宦官の大物曹節の娘婿であったため、桓彬はそれを嫌ったのだという。




この時代、宦官側に属する人間と交流を持っているとそっち側の人間と思われかねないという事情があったのだろう。




しかし馮方の方はこれを恨み、桓彬と左右丞は「酒党」を組んでいると弾劾した。



その弾劾は尚書のトップ尚書令に下されたが、尚書令劉猛も桓彬と仲が良かったためそのことを沙汰やみにして握りつぶした。




それに怒ったのは馮方の岳父曹節


曹節は弾劾を握りつぶした劉猛を弾劾して官界から追放したのであった。






同僚を酒席に呼ぶ呼ばないで尚書令がいきなり罷免どころか官界追放にまでなるのだから恐ろしい。