諸葛亮の兵法

先是、陳勰為文帝所待、特有才用、明解軍令。帝為晉王、委任使典兵事。及蜀破後、令勰受諸葛亮圍陣用兵倚伏之法、又甲乙校標幟之制、勰悉闇練之、遂以勰為殿中典兵中郎將、遷將軍。
(『晋書』巻二十四、職官志)

司馬昭は蜀を滅ぼすと信任していた陳勰に諸葛亮の陣や用兵、手旗信号を習わせ、彼はそれをすべて暗記し習熟したという。




その後彼は中郎将・将軍となって殿中の兵を束ねる立場となったというから、晋の近衛軍は諸葛亮の兵法の影響を受けていたということになりそうだ。