『晋書』武帝紀を読んでみよう:その16

その15(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/10/06/000100)の続き。





五年春正月癸巳、申戒郡國計吏守相令長、務盡地利、禁游食商販。
丙申、帝臨聽訟觀録囚徒、多所原遣。
龍二見於滎陽。
二月、以雍州隴右五郡及涼州之金城・梁州之陰平置秦州。
辛巳、白龍二見於趙國。
青・徐・兗三州水、遣使振恤之。
壬寅、以尚書左僕射羊祜都督荊州諸軍事、征東大將軍衛瓘都督青州諸軍事、東莞王伷鎮東大將軍・都督徐州諸軍事。
丁亥、詔曰「古者歳書羣吏之能否、三年而誅賞之。諸令史前後、但簡遣疎劣、而無有勸進、非黜陟之謂也。其條勤能有稱尤異者、歳以為常。吾將議其功勞。」
己未、詔蜀相諸葛亮孫京隨才署吏。
夏四月、地震
五月辛卯朔、鳳皇見于趙國。
曲赦交趾・九真・日南五歳刑。
六月、鄴奚官督郭廙上疏陳五事以諫、言甚切直、擢為屯留令。西平人麴路伐登聞鼓、言多祅謗、有司奏棄市。帝曰「朕之過也。」捨而不問。
罷鎮軍將軍、復置左右將軍官。
(『晋書』巻三、武帝紀)

泰始5年(前半)。西暦で言うと269年だそうだ。




涼州方面には梁州・秦州が置かれて州が細分化されている。考えようによっては、これによって人材登用の数が増えた可能性があり、旧涼州方面にとっては十把ひとからげという扱いを脱した、という事かもしれない。



対呉戦線の司令官たち。荊州はようこそ羊祜、青州は椅子大好き衛瓘、徐州は東莞王司馬伷。


司馬氏の姻戚(司馬師の妻は羊氏)、腹心、同族で固めているという事だ。



ちなみに、後に琅邪王となる司馬伷の妻は諸葛誕の娘。



次子(諸葛)京及攀子顯等、咸熙元年内移河東。
【注】
案諸葛氏譜云、京字行宗。
晉泰始起居注載詔曰「諸葛亮在蜀、盡其心力、其子瞻臨難而死義、天下之善一也。」其孫京、隨才署吏、後為郿令。
尚書僕射山濤啟事曰「郿令諸葛京、祖父亮、遇漢亂分隔、父子在蜀、雖不達天命、要為盡心所事。京治郿自復有稱、臣以為宜以補東宮舍人、以明事人之理、副梁・益之論。」京位至江州刺史。
(『三国志』巻三十五、諸葛亮伝)


諸葛亮の孫の諸葛京は諸葛瞻の子。




鎮軍将軍を廃して左右将軍を復活させるという措置。ここからすると、それまで左将軍・右将軍が率いていた軍を、魏王朝では鎮軍将軍が率いるようになっていたという事だろうか?もちろん、全てを旧に復したとは限らないが。