王氏の生き残り

初、(馬)援兄子壻王磐子石、王莽從兄平阿侯仁之子也。莽敗、磐擁富貲居故國、為人尚氣節而愛士好施、有名江淮輭。後游京師、與衞尉陰興・大司空朱浮・齊王章共相友善。援謂姉子曹訓曰「王氏、廢姓也。子石當屏居自守、而反游京師長者、用氣自行、多所陵折、其敗必也。」後歳餘、磐果與司隸校尉蘇鄴・丁鴻事相連、坐死洛陽獄。
(『後漢書』列伝第十四、馬援伝)

知らなかったのでメモ的に貼っておく。




後漢初期の将、馬援。



彼の兄の娘婿には王磐という者がいた。




この王磐は王莽の従兄にあたる平阿侯王仁の子(王譚の孫)であるそうだ。




彼は巨万の富を抱えて王莽時代を乗り切り、馬援との関係以外にも陰氏等とも仲良くしていたそうだが、馬援は彼に懐疑的であったという。





王莽の一族の多くは王莽と共に沈んでいったが、彼のようにたくましく生き延びた者も何人かいた、ということだ。





彼らはおそらく王莽の時代前後からの婚姻や血縁や地縁で後漢の要人とコネを持って身を守ることができたのだろう。