ざわ・・・ざわ・・・

是時霍氏外孫代郡太守任宣*1坐謀反誅、宣子章為公車丞、亡在渭城界中、夜玄服入廟、居郎間、執戟立廟門、待上至、欲為逆。發覺、伏誅。故事、上常夜入廟、其後待明而入、自此始也。
【注】
師古曰「郎皆蔞衣、故章玄服以廁也。」
(『漢書』巻八十八、儒林伝、梁丘賀)



宣帝の時、霍光の姻族で霍氏の誅滅後逃亡していた任章という人物が、皇帝に危害を加えようとしたそうだ。



そこで彼は夜間に黒い服を着て皇帝廟の衛兵である郎に紛れ込み、皇帝が入ってくるのを狙ったのだという(失敗した)。






注釈で顔シコ先生が言うところでは、皇帝の警護を担当するエリート武官である郎官は黒い服が制服であったようだ。






要人警護のボディーガードや執事の多くが「黒服」であるのは、これに由来するに違いないよ!(錯乱)




*1:任宣は霍光の娘婿とされている記事もある。外孫というのは息子の任章のことを言っていたのが混乱したのか、あるいは任宣は霍光の姉妹か従姉妹の子すなわち「霍氏の外孫」であったのか、どちらかということだろう。