『潜夫論』を読んでみよう−辺議篇その3

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140914/1410623947の続き。



除其仁恩且以計利言之、國以民為基、貴以賤為本。願察開辟以來民危而國安者誰也、下貧而上富者誰也。故曰、夫君國將民之以、民實瘠而君安得肥?夫以小民受天永命、竊願聖主深惟國基之傷病、遠慮禍福之所生。
且夫物有盛衰、時有推移、事有激會、人有變化。智者揆象、不其宜乎。孟明補闕於河西、范蠡收責於姑胥、是以大功建於當世、而令名傳於無窮也。
(『潜夫論』辺議第二十三)


仁愛の面は無視して功利的な面だけで考えても、国というものは民が基礎であり、貴人というのは身分の低い者がいるから成り立っているのである。



人の世が始まって以来、民が危ない状態であるのに国が安定しているであるとか、下々が貧しくて上に立つ者は裕福であるなどという君主がいたのかを良く考えてみていただきたい。



ゆえに「一国の君主は民に与えるものであり、民が痩せ衰えていたら、君主が肥え太っていられようか?」と言うのである。




下々の者を愛することによって天は長い寿命を与えるという。


聖なる天子には国の基礎が傷ついていることを想い、禍が生じている原因についてよく考えてほしいものだ。




そもそも、万物には盛衰があり、時は遷りゆくものであり、物事には勢い著しい時もあれば他と合流する時もあり、人には変化がある。


智者が占いを解釈してその流転を解釈しようとするのも当然の事である。




一度は負けた秦の孟明が河西を取り返し、一度は敗れた越が呉王勾践を破り、功績が永遠に語り継がれるようになったこともあるのである。



王符先生、今度は国の運営面から見ても、「民が危険な状態のまま安全であった国はない」と言い放つ。


つまりこれは明言しないものの「涼州の民の危険を放置していては民に背かれて国は亡ぶ」と言っているようなものだ。




そしてさらに、過去の事例も引いて、「物事には移り変わりがあるし、一度負けても再起して勝利したこともある」と言い、漢王朝にも羌に対して再戦を促すのである。