暦の力

靈帝熹平四年、五官郎中馮光・沛相上計掾陳晃言「暦元不正、故妖民叛寇益州、盜賊相續為害。暦當用甲寅為元而用庚申、圖緯無以庚申為元者。近秦所用代周之元。太史治治暦中郭香・劉固意造妄説、乞本庚申元經緯明文、受虚欺重誅。」
(『続漢書』志第二、律暦志中、熹平論暦)

霊帝の時代、「暦が正しくないから反乱者や群盗が相次ぐんだ!誤った暦を作った連中は死刑にしる」と主張して暦を改めることを求めた者がいた。




これについては議郎蔡邕が反駁した結果、進言者の方が弾劾を受けることとなっている。




この件自体はそこで収まったのだろうが、「暦さえ正しくなれば世の中の乱れは収まるんだ!(*^◯^*)」という思想は多分この進言者だけの特殊な性癖ではなく、一定の支持者のいる思想だったのだろう。



三国時代の改暦なんかも、「これで世の中の乱れは収まるんだ!」といった思いが込められていたのかもしれない。