漢王朝920年

(公孫)述乃移檄中國、稱引圖緯以惑衆。
世祖報曰「《西狩獲麟讖》曰『乙子卯金』、即以未歳授劉氏。非西方之守也。『光廢昌帝、立子公孫』、即霍光廢昌邑王立孝宣帝也。黄帝姓公孫、自以土徳、君所知也。『漢家九百二十歳、以蒙孫亡、受以承相、其名當塗高』。高豈君身耶?吾自繼祖而興、不稱受命。求漢之斷、莫過王莽。近張滿作惡、兵圍得之、歎曰為天文所誤。恐君復誤也。」又使述舊交馬援喻述。述不從。
(『華陽国志』巻五、公孫述劉二牧志

新・後漢初の混乱期に皇帝を名乗った公孫述に対し、光武帝はこう反論したという。




「『西狩獲麟讖』にある「乙子卯金」という予言は「未年に劉氏に天命が授かる」という意味で、西方の太守とは関係ないぞ」



「「光廢昌帝、立子公孫」という予言は霍光が昌邑王を廃位して宣帝を立てたことを意味しているぞ」



黄帝はお前と同じ公孫氏だが、公孫氏が土徳なのはお前も知っているだろう?(公孫述は金徳と称した)」



「「漢家九百二十歳、以蒙孫亡、受以承相、其名當塗高」という予言があるが、「高」とはお前のことか?」



漢王朝の断絶を求めたヤツに王莽以上の者はいないが、お前もその仲間か?」



「張満というヤツが反乱を起こして討伐されたが、そいつは天文を見誤ったと言っていたぞ。お前もそうなんじゃないか?」






つまり公孫述が即位した根拠となった予言や天文について解釈を否定しているということだ。




その中に、「漢家九百二十歳」つまり「漢王朝は920年続く」という予言が入っているのが興味深い。




王莽や公孫述のように漢に取って代わろうとする者が予言を使おうとしたように、光武帝をはじめとする漢王朝を続けようとする者も予言によって漢王朝を正当化していたわけだ。