出入

(王)浚字彭祖。母趙氏婦、良家女也、貧賤、出入(王)沈家、遂生浚、沈初不齒之。年十五、沈 薨、無子、親戚共立浚為嗣、拜駙馬都尉。
(『晋書』巻三十九、王沈伝)

魏末から晋にかけての人物、王沈*1



彼の跡を継いだ息子王浚の母趙氏は、貧しさから王沈の家で出したり入れたりしているうちに子どもを授かり、王浚を産んだという。



王沈の方はその子をちゃんと認知しなかったようだが、王沈が世を去ると、他に男子がいなかったため一族は断絶を避けるため彼を後継ぎとしたのだそうだ。






貧しくて・・・ということは趙氏はこの時代における風俗通的なアレだったのだろうか。


後継ぎが怪しくても認知していなかったというのは、そのあたりに原因があったのかもしれないなあ・・・。

*1:王沈『魏書』の王沈。