蔡質漢儀曰「職在典京師、外部諸郡、無所不糾。封侯・外戚・三公以下無尊卑。入宮、開中道稱使者。毎會、後到先去。」
(『続漢書』志第二十七、百官四、司隸校尉注引蔡質『漢儀』)
司隸校尉は都と外部の諸郡それぞれをすべて監察し、列侯や外戚や三公であろうが尊卑関係なかった。
宮殿に入る際は「中道」を開き、「使者」と称した。朝会には他の者より後に到着し先に退出するという重役出勤であった。
「中道」というのは天子の通る道のことで前漢では「馳道」と呼ばれていた。
つまり司隸校尉は皇帝が使う道を行くことを許されていたことになる。
おそらく、皇帝の使者という格式で扱われたのだろう。