池陽と北地郡

又有胡騎校尉、掌池陽胡騎、不常置。
【注】
師古曰「胡騎之屯池陽者也。」
(『漢書』巻十九上、百官公卿表上)

前漢代、左馮翊の池陽県には胡騎校尉が指揮する異民族騎兵が駐屯していたという。


三月、詔隴西徙襄武、安定徙美陽、北地徙池陽、上郡徙衙。
(『後漢書』紀第五、孝安帝紀

その池陽県は、後漢安帝の時、異民族反乱の中で北地郡の人間を移住させる土地として選ばれている。


英雄記曰(李)傕、北地人。
(『三国志』巻六、董卓伝注引『英雄記』)

そして、後漢末の李傕は北地の人間。

(李)傕為車騎將軍、池陽侯、領司隸校尉、假節。
(『三国志』巻六、董卓伝)


もしかして、李傕が池陽侯になったのは単なる偶然ではなく、彼の故郷北地と池陽が密接な関係にある土地であるからだったりするのだろうか。