董氏は はいになった!

使皇甫嵩攻(董)卓弟旻於郿塢、殺其母妻男女、盡滅其族。乃尸卓於市。天時始熱、卓素充肥、脂流於地。守尸吏然火置卓臍中、光明達曙、如是積日。諸袁門生又聚董氏之尸、焚灰揚之於路。
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝)

(李)傕等葬董卓於郿、并收董氏所焚尸之灰、合斂一棺而葬之。
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝)


董卓王允呂布らに殺されると、董卓の親族もまた皆殺しとなった。


董卓の死体は市に晒しものとなって最後には蝋燭扱いされ、董卓の親族たちの死体は袁氏(董卓に皆殺しにされた)縁故の者たちによって火で焼かれ、灰は道にばらまかれたのだった。




その後、李傕ら董卓恩顧の者たちが長安を奪い呂布を駆逐すると、董卓を埋葬するとともに董卓の親族たちの灰をかきあつめ、ひとつの棺に入れて葬ったという。





遺体を意図的に損壊し原型をとどめなくした上に埋葬も許さないということは多分この時代にはとても重要な意味をもっていたのだろう。



灰になってしまうと復活の可能性も少なくなる上に失敗するとロストだし。