『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/05/06/000100)の続き。





夏五月、司空荀爽薨。
六月辛丑、光祿大夫种拂為司空。
大鴻臚韓融・少府陰脩・執金吾胡母班・將作大匠吳脩・越騎校尉王瓌安集關東、後將軍袁術・河内太守王匡各執而殺之、唯韓融獲免。
董卓壞五銖錢、更鑄小錢。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

初平元年(6月まで)。



董卓、反董卓側の太守・刺史を鎮めようと九卿を使者として出すものの、反董卓サイドは使者を殺すという対応。


董卓の傀儡皇帝の朝廷を認めないスタンスの表明なのかもしれない。




胡母班を捕えたのは王匡。実は王匡の妹の夫が胡母班である。それもあって使者となったのかもしれないが、袁紹が投獄させて獄死したという。


謝承後漢書曰、南陽陰脩為潁川太守、以旌賢擢俊為務、舉五官掾張仲方正、察功曹鍾繇・主簿荀彧・主記掾張禮・賊曹掾杜祐・孝廉荀攸・計吏郭圖為吏、以光國朝。
(『三国志』巻十三、鍾繇伝注引謝承『後漢書』)


陰修は光武帝外戚だった陰氏の出で、荀彧・荀攸・畜生らを登用した人物とされている。



彼を殺したのは袁術であるとされる。



なお生き延びた韓融は穎川の人である。反董卓挙兵に参加している冀州刺史韓馥と同郷同姓である事が影響したか?



又壞五銖錢、更鑄小錢、悉取洛陽及長安銅人・鍾虡・飛廉・銅馬之屬以充鑄焉。
故貨賤物貴、穀石數萬。又錢無輪郭文章、不便人用。
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝)


董卓、貨幣を刷新。


今までより小さくチープな造りだった。材料をケチると共に工程を減らし、多く、早く、安く揃えよう、という事か。


長安や洛陽の銅像などまで溶かして銭に造り変えてインフレを招いたという。霊帝が売官で集めたであろう銭はどこへ行ったのだろう?