『漢書』武帝紀を読んでみよう:その22

その21(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20171225/1514127922)の続き。




二年冬十月、行幸雍、祠五畤。
春、幸緱氏、遂至東萊。
夏四月、還祠泰山。
至瓠子、臨決河、命從臣將軍以下皆負薪塞河隄、作瓠子之歌。
赦所過徒、賜孤獨高年米、人四石。
還、作甘泉通天臺・長安飛廉館。
朝鮮王攻殺遼東都尉、乃募天下死罪撃朝鮮。
六月、詔曰「甘泉宮内中産芝、九莖連葉。上帝博臨、不異下房、賜朕弘休。其赦天下、賜雲陽都百戸牛酒。」作芝房之歌。
秋、作明堂于泰山下。
遣樓船將軍楊僕・左將軍荀彘將應募罪人撃朝鮮。
又遣將軍郭昌・中郎將衛廣發巴蜀兵平西南夷未服者、以為益州郡。
(『漢書』巻六、武帝紀)


元封2年。




この年、武帝はまた行幸する。雍から東萊、そこからまた甘泉に戻るというのはなかなかの移動距離ではないだろうか。




傳子至孫右渠、所誘漢亡人滋多、又未嘗入見。真番・辰國欲上書見天子、又雍閼弗通。
元封二年、漢使渉何譙諭右渠、終不肯奉詔。何去至界、臨浿水、使馭刺殺送何者朝鮮裨王長、即渡水、馳入塞、遂歸報天子曰「殺朝鮮將」。上為其名美、弗詰、拜何為遼東東部都尉。
朝鮮怨何、發兵攻襲、殺何。
(『漢書』巻九十五、西南夷両粵朝鮮伝、朝鮮)

今度は朝鮮(いわゆる衛氏朝鮮)が漢に背く。



どうも、当時の朝鮮王は漢に元から服属しようとしていなかったが、そんな中で漢の使者が朝鮮の将を暗殺した事が原因だったということらしい。



朝鮮王が殺した遼東都尉というのは、上記列伝に見える暗殺使者渉何の事なのだろう。




漢は朝鮮に派兵。また、それとは別に西南夷へも兵を出して蜀の向こう側を征服していく。